奇橋・猿橋がちらりと見えた中央本線の旧線を歩く【後編】
ぶらり大人の廃線旅 第14回
猿橋に匹敵する大原隧道の坑口
階段を下っていくとトンネルの正面が見えた。坑口のアーチの周囲を剣状の迫石が囲み、その中央には要石。両側には石積みの壁柱がまっすぐ立ち、アーチの上にはトンネルの扁額こそないが、帯石がアクセントを付け、上端にはそれに平行な笠石ががっちり固めている。両脇の斜面にかかる翼壁の煉瓦の積み方も丁寧で乱れがない。
このように手のかかった重厚な建造物を目にすると、これを単なる出入口と済ませるわけにいかない雰囲気になる。まさに立ち去り難い。賽銭箱と鈴でもあれば拝んでしまうところだ。主が通らなくなって半世紀を経過したとはいえ、今も威厳を湛えている。平成の現代に作られているトンネル群がもし廃止となった時、これだけの余韻を後世に伝えられるだろうか。
はるか下で水面が見えない桂川の向こう岸には国道の新猿橋。あちらは昭和48年(1973)竣工という赤い鉄骨の軽快なアーチ橋である。ここまで来たら、せっかくだから日本三奇橋のひとつ「猿橋」を渡ってみよう。構造としては両岸の岩に穴を開けて柱を突き出させ、その上に柱を順次バランスさせて張り出し、最上部に桁を架ける「刎橋(はねばし)」だが、橋脚なしでこれだけのスパンを実現しているのがこの橋の特徴だ。
この木橋は明治に入っても甲州街道の橋として使われていたが、さすがに自動車が通るようになるとそうもいかず、昭和9年(1934)に初代の新猿橋が架けられた。こちらのアーチ橋は旧猿橋のすぐ上流側に今も架かっている。同じ甲州街道の笹子峠に自動車が通れるトンネルが掘られたのは昭和13年(1938)だから、この時期に急速に道路交通の近代化が進められていたことがわかる。
板張りの猿橋を渡れば土産物屋と食堂のエリアであるが、そこに掲げられていた解説板によれば、この橋は嘉永4年(1851)の「出来形帳」によって架け替えられたそうで、昭和59年(1984)8月に竣工とのこと。総工費3億8300万円。平日のためか閑散としていたが、その東側の駐車場から下を覗くと、先ほどの水路が桂川を跨ぐ第1号水路橋が見える。明治の終わり頃の竣工というから、まだ黎明期の鉄筋コンクリート橋だ。この橋や先ほどの3号水路橋も含め、「八ツ沢発電所施設」は平成17年(2005)に重要文化財に指定された。
冒頭の『旅窓に学ぶ』の「僅か十七間の小橋とてその観望は一瞬の間に消え去り、殆んど見るいとまもない。鉄橋の下には東電八ツ沢発電所への導水橋が見える」という記述の通り、注意深い旅客はこの水路橋を俯瞰しつつ、すぐ向こう側に瞬時だけ見える猿橋を瞼に焼き付けたことだろう。
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